2010/10/15

第二回

新たに制作スタジオを兼ねたその場所で、
私は2か月間ひたすら曲を作り続けた。
来る日も来る日も、それはもういくつも、出尽くすまで限りなく。


冷静でいられなかった。
掻き乱れた心の内、出るものは全て出す…
だから、随分酷いものも出てきた。
ワンフレーズ、そこから進まず曲にならないものも沢山あった。


自分でも手に負えないほどの自分が出てこないと、強い表現は出てこない。
いつも本当に良い曲は自分でもわからないうちに一気に出来る。
その間感じているのは強烈な情動だけ。
頭を使う、計算して作る、悩む、そんなことしたらどんどん駄作になっていく、
それはアレンジの段階でやること、
ゼロから1にする時に使うべき力はそういうところではない。
もっと全然、理屈じゃないところ。


はっきりいって今回、自らの傷をえぐるような曲の作り方をした。
私は本当に、うんざりするくらい色々なことがうまく流せない性格で、
あれもこれももう、どうしたらいいかわからなくて…
それで楽器を弾く、歌う…そういうことの繰り返し。


混乱している自分、見失い過ぎている自分にメス
ぐちゃぐちゃの正体を取り出す
間違っているものは正したい
平気なフリなんてできない
本当の気持ちは何?
どうやったら前に進めるかな
何を持っていけばいいのかな
それが明確になるまでえぐりつづけた。


自分のことをしっかり見ようとしなければ、
生きることはそんなに難解ではないように思う。
でも、見なくてはならないし。それに嫌だって見えてしまう。
自分をちゃんと見て、ちゃんと受け止めなければいけない時がある。
歪んだものを治していかなきゃいけない時だってある。
少なくても私にとって「音楽を生み出す」とはそういう瞬間の連続で、
自分を確かめ続けることに他ならない。
えぐればえぐるほどそりゃぁダメな自分だって出てくる。
ただそれを適当に追い払うんじゃなくて、諦めてしまうんじゃなくって、
認めてあげた上で生かしていく、時には変えていく、
それが出来るか出来ないかって問題。あとは本当のらしさや良さを見失わないこと。


そうして自分のこと、穴があくほど見つめた果てになぜか、他人が見える-。
今回の曲作りは、そういう初めての経験をもたらした。


2ヶ月を費やして、大半は新曲で、
また今蘇らせるべき過去の音源も多少含めて、曲は出揃った。
選曲はあっという間に済んだ。
『必然しか選ばない、最高以外は全部外す』
ごくごくシンプルに。


私はそれをぐっと握り締めて、
音楽を共にしてくれる人へと会いに行く。


つづく