2010/10/12

第一回

今回のアルバムの制作がはじまるから終わるまでの記録を、
複数回にわけてここに記しておきたいと思います。
10回以内に書き終える目標。
書き終わったらリリース情報解禁という流れでいこうと思います。


では第1回。長いけどごめんね


本気で個人で音楽活動がしてみたいと思い始めたのが去年の夏頃。
その頃から「私はバンドである必要があるんだろうか」という疑問を持ち始めてた。


その夏はちょうどnervous decayというシングルの制作をしていて、
私はsilk skinという曲のオケの大半を自分担当ということで作っていた。
それで、その出来上がっていく音楽を聴きながら、
『そろそろ自分の音楽クオリティにそれなりに自信を持ってもいいんじゃないか』
と思い始めていた。
ほとんど人任せで制作をしていた1stとは明らかに状況が変わっていた。


秋にはもうバンドに居続けることに限界を感じていた。
自分の衝動を抑え込む形でしかバンドを維持することができなくなっていた。
何もかもが我慢の連続になって、それはとても苦しかった。
バンドのためなら何でもやりたくて、実際出来る限りのことをやった。
ライブハウスやCDショップへ苦手な挨拶周りに一人で出かけたり、
全体のスケジュール出し、プロモーション考案、ビジュアライズの作成、
印刷会社入稿、予算算出、web更新、ビラ配り、スタッフ連絡メンバー連絡…
音楽制作とは別にやらなければならないことの多くを、
私がやらなければバンドが動かない状況だった。
それでも勉強になるし、大好きなことのためだし、と積極的に行動していた。
だけどだんだんと全部、どうしてこんなに一人でってくらい辛くなってしまっていた。
すべてがよりよいバンド環境とよりより音楽のためであったけど、
『新しい曲をやりたい』『もっとちゃんと完璧なライブがやりたい』
『みんなできることをやってほしい』
そうメンバーに言っても反応は鈍かった。
年が離れていて自分より経験豊富なメンバーに私がわざわざ何か言うのも違和感だった。
何度も同じ事を言いたくなかった。


そして年末最後のライブ、
関係者打ち上げでメンバーが揃わなかった時にはさすがに涙が出た。
いつもお世話になっている方々をずいぶん待たせて、
本当にすみませんと何度も頭を下げている時 悔しくて悔しくて肩が震えた。
『自分は一体、この先何を信じて、何に期待してバンドをやっていくつもりなんだろう』
もうバンドをやる意味がひとつも無くなってしまった。


年末には脱退を決め、年明けしばらくしてから解散が決まった。
一番大事なものを話し合った結果が違った。愕然とした。


それからの冬はどうにも生命力が無くて、幻滅と絶望に打ちのめされた日々。
解散が決まるまでも随分揉めて、バンドの状態はぐちゃぐちゃで、
わたしはもう何もしたくない、歌いたくもなかったし話もしたくなった。
それでも最後のライブだけはしっかり終わらなければ
ここまで一緒に来てくれたファンにもスタッフにも申し訳ないという責任感と
信じて頑張ってきたものに対して自分自身がけじめをつけられないという気持ちで立ち続けていた。


解散ライブが終わったら一気に崩れた。完全にあの日、自分の中で何かが終わった。
そして同時に爆発が起こった。


夢もない 光もない 扉もない 誰もいない 自分が見えない
そんな真っ黒な穴の中で私は一人大爆発を始めた。
体はもうくたびれてしまって悲しくて仕方ないくせに、
向き合った楽器がガンガンと力強い音を立てる。家が揺れるほど爆音。
閉じ込めていたものが一気に溢れてきた。
押さえつけていたものが、一気に。


『信じすぎた果てに咲かずに枯れる花でもいいから 息をしていたい』


そんな言葉と共にメロディーが生まれ、たちまち一曲が現れる。
崩壊したものの中から、新たな自己再生を促すような音楽だった。
『自分の新しい音楽活動はこの曲ではじまる』
そう確信した私はほんの数日で一気にその曲のデモを仕上げた。
『こういう曲ができるんだったらこの先やっていけるはずだ。』
そこまで勝手に自分で思い込んだ。
『アルバム作ってみよう。ちゃんと振り返って、ちゃんと見据えて、
自分がやれるだけの音楽を作ってみよう。』
そう決めた。


思い立ったら吉日。
アルバム制作に集中するため、静かな録音環境の整う場所へ引越しを決めて東京脱出。
引越し後すぐに制作専用ルームを組み立て、曲作りに没頭する。



つづく